先週末の結婚式。
色々な感情に襲われ、ビクビクしながら迎えました。
早朝から不安マックスで、「何にも準備できないよ、無理だよー!」と旦那さんに当たってしまいましたが、
旦那さんは落ち着いて「大丈夫だよ」と着付け室まで送ってくれました。
一言で言って、「生きてきてよかった」と思える一日でした。
人生で最も幸福な時間となりました。
たくさんの人から祝福されて、幸せすぎて、涙をこらえるのが大変でした。
そこは思いっきり泣いちゃえばいいんですが、我慢しちゃうのがまだまだ武闘派ですね~。
歯を食いしばって、何度涙をこらえたことか。
ちなみに女子力の高い旦那さんは10回くらい涙ぐんでいました。笑
最後のあいさつの時は、私も泣いちゃいましたけどね。
私は「結婚=幸せ」とは決して思っていません。
結婚しなくたって、独身だって、幸せになれると思っています。
でも、私は自分自身の意志として、一度は結婚してみたかった。
そして、念願かなって、ついに結婚することができた。
大好きなパートナーと愛を誓い合うことができた。
何度も結婚をあきらめた。
私はブログで何度もそう書きました。
でも、実際はちょっと違ったんだと思う。
潜在意識の中で、絶えずコミットし続けたのだと思います。
ああ、私はずっとずっと結婚したかったんだ。
私は私の可能性を最後まであきらめなかった。
そのことに、式で確信することができました。
(心のどこかでこの瞬間が来るのを知っていた、待ち望んでいたとも思いました)
自分で自分を褒めてやりたいと思いました。
私だって、これから何が起きるか分かりません。また一人に戻るかもしれません。
それでも、今までの人生の総決算として、結婚式でたくさんの人に感謝を伝え、祝福を受け取った。
お世話になった方が喜ぶ顔を見た。
ご祝儀などを頂いて、素敵な着物や贅沢なドレスを着させてもらった。
素敵な会場で、結婚を誓い合うことができた。
たくさんの方から「綺麗」「可愛い」と声をかけてもらった。
すれ違った知らない方にまで「おめでとう」「お幸せに」と言ってもらった。
いや、大げさでも何でもなく「このまま時よ止まれ!」と思いました。
この1日の幸せは、今後の人生で何が起ころうと、決して揺るがない。
この先、行き詰ることがあったら、この日のことを思い出そう。
死に際の走馬灯でも、
「まあ、あの時幸せだったから、ま、いっか」と、必ずこの日が脳裏によぎるでしょう。
っていうか、明日死んでも後悔はないとすら思ったね。
両親にもかろうじて、その場で感謝の言葉が出てきました。
明け方まで感謝の手紙が書けなくて、頭を抱えて、結局手紙は書けずじまいでしたが、
私を産んでくれて、ここまで育ててくれてありがとう、とアドリブで伝えました。
まあ、両親が産んで育ててくれて、私が存在しなければ、こんな幸福を味わうこともできない訳ですから、
しゃーないな、感謝ぐらいするかって軽いノリでした(笑)
あいさつでは、長年「結婚できないから可哀そう」と呪いとかけ続けた両親に言及しようかと思いましたが、
(毒親怒りのパワーはエゲツない!)
お父さんはこの上なく幸せそうで、お母さんはずっと泣いていたので、空気を読んでやめておきました。
お前らなー、ずっと「お前は結婚できない」とディスり続けたくせに、喜んでるじゃん!と心の中では何度も突っ込みましたが、
ま、この場では許してあげるか、って気分になりましたね。
もう、私は「自分は不幸だから、上手くいかない」という言い訳を二度とできなくなります。
「可哀そうな自分」を言い訳にできなくなります。
自分を卑下する理由はもはや何もない。
これって、かなり恐ろしいことです。
私の人生には言い訳は通用しない。
幸せであることを、ついに認めなければならない。
不幸慣れしているので、何だか居心地が悪いですが、
これが新しい私。次第に慣れてくるのでしょう。
とはいえ、幸せを味わう気分は、恐れを通り越すと、また格別です。
(女性性が開いた時のような感じでしょうか、ふわっと開いた気分です)
色々大変なことはあったけど、この気分を味わうために、今までの苦労があった。
婚活難民になったり、カウンセリングを受けたり、漂流し続けた分、ホッとした気分です。
そして、どうやら生き方が根本から変わってしまうみたいです。
こんなに幸せなのだから、この先も何とかなる。とか思っちゃっている。
私はたくさんの人を愛し、愛された。
私の人生は愛に包まれ、その人たちの思いは、生涯私と共にある。
この一日で気づいた、たくさんの人々の愛は、永遠に私を包み続ける。
ありとう。ありがとう。ありがとう。