“お金軸”を脱却せねばならない。
そんな危機感を抱いています。
娘に口癖のように「お金がないから無理」と言っている自分に気づいたからです。
“お金軸”とは他人軸のように、何でもお金を基準に決めることです。
私はそういう生き方はしないと思っていました。
しかし、口をついて出てしまう。子供を揺さぶってしまう。これには驚いています。
思えば、私の両親は、子供に対してお金で制裁を加えていました。
言うことを聞けば欲しいものを買ってくれるけれど、聞かなければ欲しいものは買わない。
テストでよい点を取ればお小遣いをあげるけれど、悪い点を取ったらあげない。
自分が嫌いなスポーツや習い事には、お金を払わない。
文系の大学に行ったら、学費を払わない。
孫が生まれた兄弟にはたっぷり援助するけれど、未婚の女性は援助しない。
何をするにせよ、”お金を支払うかどうか”が絡んだ、条件付きの愛情でした。
私の弟は、両親の希望通りの進路を進んだので、大学に入ると、新車を買ってもらい、海外旅行や留学の費用を払ってもらっていました。学生時代からスタバで大きなサイズの飲み物を頼んでいましたっけ。
かたや、私は大学の学費を出すのも渋られて、日々金欠で、昼食を抜いたり、氷を食べたり、工場で部品組み立てのアルバイトをする日々。
二人とも同じぐらいの学力だったので、この仕打ちはとても悲しいものでした。
悲しかったなあ……。悔しかったなあ……。やりたいことが沢山あったけれど、我慢したよね。
悲しい気持ち、悔しい気持ちをいっぱい味わおう。
そして、娘にはこんな思いをさせたくない。
無意識に値札や値段で判断する癖をやめたい。
私はお金軸からの卒業を宣言します。
そこから卒業することが、両親への最大への親孝行ではないか。
思えば、父も母も、お金の制裁というものに、ずっと縛られていました。自分たちがそういう仕打ちをされたからだと思うのです。その呪縛から逃れられなかった。
父は病ですが、最後の最後まで兄弟を競わせて、お金や土地の譲り先を考えているようです。移住した私に「東京に住まないと、何も渡さない」と揺さぶりをかけてきます。父自身がいま必死で”お金軸”から抜けようと、あがいているのも分かるんですが。
気を取られないようにしようと思う反面、「またお金で揺さぶってくるの?人生の最後までそれをやるか?」と怒りが出てきてしまう。何だかなあ。
こんなふうに、いつまでもお金軸にとらわれて、お金がああだこうだと言うのではなく、軽やかに自分のエネルギーが回ることをして生きていきたい。
次の軸は、おそらく、本音で生きて私のエネルギーが循環する世界。
自分を喜ばせるエネルギーで、軽やかに回る世界。
おそらく”本音軸”と”エネルギー軸”というものになるんじゃないかと思います。
それが結果として、最大の親孝行になるのではないかという気もします。彼らが捕らわれ、抜けられなかった呪縛から抜け出すこと。
まあ、抜けられるからこそ、この呪縛に気づいたとも思うんです。これまでの人生は”お金軸”が当たり前すぎて、疑問すら持たなかったので。
大丈夫。ぼんやりとですが、それが叶う世界も見えています。
私はそちらに行けると思う。というか、行く覚悟ですね。向こう岸へ跳ぶ覚悟。あちら側へ渡る覚悟。
覚悟がすべてだ。
“お金軸からの脱却”をテーマに、テツコ自身への公開インタビューを近日中にお届けします。