朝、ランニングをしていて、ふっと気づいた。
私はこの5年間でキャリアのリセットボタンを3回押した。
そりゃ生きづらくなるはずだ。
一度目は妊娠中。妊娠3カ月のころ、目に異変が生じた。ブルーライトを使った画面をまったく見られなくなった。
パソコンもスマホもテレビも見られない。しかも新型コロナウイルスが流行り始めた矢先。私は起業を断念せざるをえなかった。
眼科に行ったが原因は不明だった。産婦人科の医師から「妊娠中はこれまで弱っていた部分が明るみになる。これまで目を使いすぎたのではないか」と言われた。もともとHSPであったが、妊娠、ストレス、ホルモンバランスなど何らかの影響で超感覚過敏になったのではないか?と考えている。
二度目は島で子育てを断念した時。娘の平熱が高くて37.5度を毎日超えてしまうため、島の保育園では受け入れられないということだった。自分ではファミサポを探したり、役場と交渉するなどできる限りのことをやった。
ただ、夫が育休を取ってくれたら、島を離れずに済んだはずなのだ。5年前は育休を取る男性がほとんどおらず、私は夫に訴えることができなかった。喉骨にひっかかった魚の骨のように、いまだに響いている。
当時は学校の支援員をやって、ここで生きるんだという希望にあふれていた。家を行き来できるママ友、友人もおり、起業をサポートしてくれる地元の方ともつながれた。その矢先に離れざるをえなかったのは、断腸の思いであった。
三度目は母との不仲。詳細はまた別の機会に書こうと思う。島から離れて、コロナ禍で育児をサポートしてもらうために実家近くに住んだ。実家近くでスペースを運営をするために起業した。しかし一緒に起業した母から妨害され、私自身が崩壊してしまった。
母はおそらく自己愛の強い人で、私を下に置かないと気が済まない人だった。自分より幸せな娘を許せない人だった。実家近くに住むこと自体がそもそも”無理ゲー”だったのだ。
一度目の妊娠は仕方ないとしても、3回ともに自分で納得いかないところで、私はキャリアのリセットボタンを押すことになった。
走りながら、これらの経験がふっと蘇ってきた。なぜ私はこんなに他人軸で、キャリアを他人の手に委ねているのだろうか。
そもそもキャリア形成においては、自分が我慢をして、家族に合わせることだと勘違いしていたのだ。幼少期からそういうキャリア形成を押し付けられてきた。
それに気づけば、半分以上は手放せている。私はもう二度と不本意な形で、キャリアのリセットボタンを押さない。他人の失敗のツケを負わない。
私のキャリアは私だけのものだ。私がやりたいことを貫いていく。
これからはテツコハナヤマとしてやりたいことを、あきらめることなく、地道に積み上げていこうと思う。