違和感にありがとう。

私は直感力が鋭いほうだと思う。

何か掴みたい時、「あ、こっちの方だ」とピンとくることがある。

いい仕事が来る前触れ、そして不吉な前兆。

もっとも鋭い直感力は、誰もが持っている能力である。

現代では自分の直感よりも、社会や周りの意見が正解だとされることが多いから、

多くの人は家庭や学校、会社、人間関係の悩みなどから、その力を封印してしまう。

私は心理学を通して、直感が開放され、磨かれていく感覚があった。

ただ、私も最近まで抑圧していた直感があった。

それはマイナスの事柄に対する直感力だ。

直感力というより違和感と表現した方がいいかもしれない。

「ん?なんか変だ」「ざわざわする」「どうも頭がすっきりしない」

正確に言うと、「感じていたのに、感じないふりをしていた」という表現が正しいだろう。

なぜ違和感、マイナスの直感を封じてしまったのか。

母に対する違和感だ。母は話している内容と、行動や表情が異なることがある。

心理学的には毒親が人をコントロールするために使う「ダイブルバインド」という手法である。母は私と話す時には、このコミュニケーションを使っている。ほとんど無意識的にだろう。

私は幼い頃、母と話している時に、「気持ち悪い感覚」があった。怒られた後には、余計に「気持ち悪い」と感じていた。そりゃそうだ。母は私のことばの揚げ足を取り、もっともらしい理由をひねり出しては、私に怒りをぶつけ、手を上げていた。私は優等生なので、そんなミスやポカはしないのに。

保育園の頃まではこの「気持ち悪い」という感覚があった。だんだんなくなっていって、高校生くらいには完全に消滅してしまった。多くの子供に反抗期が起こる思春期に、私は自分の人生を完全に親に明け渡してしまったのだ。

思い当たるのは、思春期に身体の変化が起きた私を、母が執拗にからかったことだ。

生理がはじまり、胸がふくらみ、娘が女性的な身体になっていくことを、母は受け入れられなかった。

今思うと、あれは夫を取られてしまうかもしれないという嫉妬なのか、母子一体だった娘が一人の違う女性になっていくことへの戸惑いなのか。母は怒りをぶつけた。時には性的な暴言をあびせた。

母が私のことを嫌いだと思うと生きていけない。だから、私は母への違和感に蓋をすることにしたのだ。

このことを認めるのは、とても悲しかった。でも、いまの私はこの悲しみを味わうことができる。明け方、「ああ、そういうことだったのか」とコーヒーの苦みと共に思い返すことができる。胸はキュウと痛むが、以前ほどではない。

母への違和感を取り戻すと、他人への違和感も取り戻せた。私を攻撃しそうな人、嘘をついていそうな人、言動と表情が一致しない人への違和感。

見て見ぬふりをしてきた違和感。それらに「ありがとう」と言って感じるようにすると、人生を守ってくれる羅針盤となる。

そのセンサーは、カウンセリングやセッションではプラスのセンサーとして働く。長年にわたる違和感との格闘が、才能のひとつとして、私に装備されている。

違和感にありがとう。

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