1カ月ぶりに実家に戻った。
都内に戻ると、私は体調が悪くなる。
頭が回らなくなって、重くなる。考えがまとまらなくなる。身体もなんだかだるい。
数年前まではこれが当たり前だと思っていた。
身体も心もうまく回らない状態で、鞭打って動く。幼い頃からそうだったから、こんなものだろうと思っていた。
だが、移住して、この感覚が変だということに初めて気づいた。
身体は温泉から上がりたてのように、ほかほかと緩んでいい。
肩の力が抜けて、やりたいことがどんどん思いつく。インスピレーションがあふれる。
朝、太陽の光とともに、スッキリと起きられる。
今日はどんな一日かなとワクワクする。
こんな感覚を持っていたのは、10歳ぐらいまでだったろうか。
それ以降は朝起きるのも、動くのもどんどん身体が重くなっていった。
片付けられない。朝の支度ができない。顔も歯も磨く気力がない。
同級生がめいっぱいオシャレしていた高校生の頃、私は朝起きて機械的に学校に行くだけで目いっぱいだった。
20歳くらいの頃、朝起きて、腰が痛くてだるい日々が続いたことがあった。
人生80年というが、皆、いったいどうやって80歳まで生きているのだろうか。私は20歳でもこんなに身体が辛いのに。
どうして私だけ世間の基準からこんなに外れているのだろう。と思ったことがある。
いま振り返ると、自己愛の強い母の支配に絡めとられていったからだ。
都内に入ると、その感覚が戻ってきてしまう。だから用事がある時以外には、できるだけ都内に戻りたくなかった。
夫に会うため、病の父に会うため、地元のまだ切れない仲間たちに会うために、私は頑張って戻っていた。
しかし、今回の上京から身体感覚が一変した。大丈夫なのだ。
私はもうこの街がこわくない。実家もこわくない。落ち込んだり、パニックになったりすることがほとんどなくなった。
そして同時に、この街が過去のものになったことも感じた。
現在とは地続きではない。終わった話なのだ。そして実家も、もう住むことはない、過去の家なのだ。
私はもう母にいじめられることもない。いじめさせない。私が私を守るから。私の家族を守るから。近づかないし、母がどんなに弱っても、絡め取られない。人生の主導権を渡さない自信がある。
私は、両親のこと、数年前に自己愛の母によって家族とコミュニティをボロボロにされたことが、過去になっていることに気づいた。
この変化はいったい何だろう? これまであらゆる心理的なワークなどにトライしたが、なかなか過去のものにはならなかった。
これまでとは違ったのは「違う世界線に跳ぶ」ことを意識したことである。
いままでは過去—現在ー未来は私にとって、一直線であった。
苦労の乗り越え、それを活かしてこその現在であり、未来へとつながっていくと思っていた。
ただ、いまの私にとって、過去は別の世界である。もちろん私ではある。ただ、いまの私はその延長線にはいない。
過去は自己愛が強い母にとって都合のよい世界であり、私にとっては不都合な世界であった。
いまの私は、私にとって都合のよい、心地よい世界に生きている。新しい世界へと文字通り「跳んだ」のだ。
そして過去には戻らない。母にとって都合のよい世界には、もう二度と戻らない。なぜなら私のいま生きているラインと過去のラインは交わらないからだ。
ことばで説明するのは難しい。感覚的に腑に落ちたというべきか。
パラレルワールドということばがある。私は都合の悪い世界から、都合のよい世界へのスライドしたという感覚だ。
予祝を自分なりに調べてみて、自分に都合のよい世界線に跳んでしまうのが、一番いいと気づいたからだ。
数年前に根本さんから頂いた言葉もヒントになっている。
お弟子向けのグルコンで「将来は移住したい。その方がやりたいことも叶うし、パフォーマンスを発揮できる」と言った私に、根本さんは「いまこの瞬間に、最高の状態になることはできる」と。
その言葉がずっと引っかかっていた。
自分に都合のよい世界線に跳んでしまう。そうなってしまう。それが一番いいのではないかと。私は仮定した。それを実践してみた。
このやり方がカウンセリング的に合っているのか分からない。逃避や妄想なのか?とも一瞬疑った。
ただ、このアプローチだと、毒親の近くに行っても平気だし、街のフラッシュバックも起こらないのだ。日常でも穏やかに過ごす時間が増えている。