舞台「ハムレット」を観た感激、まだ収まっていません。
そして、今だから書けることを、書きます。
実は先日、稽古場でインタビューさせていただきました。
その後、稽古場を見ていた所、私は”何か”に当たってしまい、回復に数日要しました。
私はカウンセラーとしては、クライアントさんに共感しながらも、客観的に見ることが得意です。
結構、癒着キツめの方が来ても、割と平気なタイプです。
ただ、今回の「ハムレット」は毒親育ちの“テロ”という解釈。
ハムレットが親から満たされなかった寂しさ、孤独感が、物語を進める鍵であり、莫大なエネルギーともなります。
そんな強大で危ういエネルギーが今回の稽古場にたまっていたのです。
また今回の脚色・演出は、演出家・斉藤敏弘氏自身の悩みも重ねられています。
大好きなのに大嫌いな母。そんな母と向き合えない気持ちが暴走する悲劇。
今回の演出版は、まさに斉藤氏の心象風景ともいえるのです。
人に囲まれているのに孤独感を覚える。師匠のカウンセラー・根本裕幸さんはそんな心理状態を「心のドーナツ化現象」と呼んでいます。
斉藤氏にインタビューしている最中、”ドーナツの穴”が見えた気がしました。
そう、私が当たった”何か”の正体は、きっとこれ。
その底知れぬ闇、強大な引力を抱えた底なし沼。久しぶりに「や、やばいぞ!」と思いました。
でも、これは心理的には私自身の「投影」なのかもしれません。
(※投影=自分自身が切り離してしまった感情が、外の世界に映し出されること)
私もかつては毒親と直接対決をした身ですから、そのエネルギーがまだどこかに残っている。
あるいは、まだまだ癒しきれない、孤独な気持ちが心の底に眠っているのかもしれません。
親と対決していた頃は、刃物があったら本当に刺してしまいそうで、正直怖かったです。
対決前には「安心安全な方法で戦う」と自己暗示をかけてから、実家に行っていました。(その結果、父親の頭の上から、麦茶をどぼどぼヤカンから注いだりしました)
インタビューですでに疲労していましたから、観劇の際は正直「大丈夫かな?」と思いました。
この巨大な負のエネルギーを「ハムレット」に乗せて成立するのか?
「ハムレット」とは名ばかりの斉藤氏の自伝、別の物語になりやしないか?
ところが、毒親育ちの強大な負のエネルギーが、シェイククスピアという骨太な古典作品の上に乗っかると、あら不思議、
ドーナツの穴が、身を切り裂くような孤独が、ハムレットというキャラクターの強烈な個性となり、
人々の共感を呼び、心を震わせるのです。
私のクライアントさんは芸術家系、クリエイターさんが結構いらっしゃるのですが、
皆さん、抱える孤独感、”ドーナツの穴”がデカいのなんのって!
でも、それこそが、創作の原点になるんですよね。
寂しすぎる思いをしたからこそ、普通の人とは比べものにならないくらいの、空想・妄想の世界を構築することができる。
そうして、自分が創り出した新たな世界を媒介にして、再び人とつながることができる。
「創作、芸術を通じて世界と人とつながろう」
「芸術家、クリエイターだからこそできる心の癒しもあるよ」
アーティスト気質の人たちに、私はそう提案しています。
今回の「ハムレット」はまさに毒親育ちの”ドーナツの穴”が、見事に世界とつながった作品となりました。
私が観劇した回は、終盤にかけて、舞台と客席の雰囲気がピりりと引き締まっていき、
最後は観客から役者まで、全員の呼吸が合っていました。
途中で寝ていた方も、終盤見入っていました。泣いている若い女性もいました。
さらに、今回の主演の飛田竜之介は、ハムレットと同じような虚無感、心の闇を抱える等身大の青年。
ハムレットの”ドーナツの穴”を、見事に表現してくれました。
今回の演出版では、ハムレットは孤独な心を抱えたまま、死んでいったようにも見えます。
でも、孤独なんだけど、孤独じゃない。
役者も、演出家も、観客も、ハムレットの”ドーナツの穴”でつながった。
見守り、共感し、ひとつになった。
膨大な負のエネルギーが、感動と共感に昇華されるミラクル。
演劇って、芸術って、本当に面白いなあと思います。
素晴らしい演出・潤色を見せてくれた斉藤氏、そしてMPSの役者さん、スタッフさんに、心から拍手を送ります。
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