自分が一番やりたいのは「疲れていること」。生まれて初めて頑張るのをやめてみようと思う。

年明けからフリーランスになったのですが、

フリーになろうというのは建前で、実は私、貯金が尽きるまで引きこもろうと思っていたのです。

これまでの私は、傍からみたら、自己実現して好きなことをやっている人生に見えたと思います。

自分でも「他の人より自己実現して好きな人生を生きている」と思っていました。

いい大学に頑張って入ったし、小さいころから憧れていた職業に就いたし、やりがいも感じているし、お金もある程度稼げている。自分の人生まずまずだと思ってきました。

ところが、心の学びを始めてから、「そう見えるように振る舞っているに過ぎなかった」ということに気づいてしまったのです。

そう、私がひたすら意識していたのは、親の目線。そして、周囲の目線。

物心ついてから30年、ひたすら両親の仲を取り持つため、家族のため、人のために頑張ってきた人生でした。(また30代独身なのにね。笑)。

自分の心より、周囲の人の気持ち、期待を常に優先させてきました。

そうやって、ずっと自分の心を無視してきたせいか、身体と心に少しずつ、ほころびが生じてきました。

腰痛やアレルギーに突然なったり、身の周りの整理整頓が突然できなくなったり……。古いパソコンみたいに、自分の行動に段々と”バグ”が増えていきました。容量いっぱいなのか、途中で固まるし、再起動してもなかなか動き出さない。

それでも、継ぎはぎして何とかバレないように、ビクビクしながら生きていました。

でも、体裁を取り繕うのは、そろそろ限界に近づいているのが分かりました。

段々と思う通りに、こうあるべきと自分が考えるように、動けなくなっていました。

このまま行くと、いずれ自分は壊れてしまう。このままの生き方を続けていたら、残りの50年の人生(人生80年と仮定して)、持たないと思うようになったのです。

それで、心の学びを始めて、おそるおそる心の蓋をこじ開けてみると、まあ思った以上にグチャグチャでした。自分の本音は簡単には見つからず、他人の期待と世間からの押し付けで混線していました。

自分の本音を探す作業は、まるで引っ越し前にテレビや冷蔵庫の裏を掃除しているような、それはそれは面倒で嫌な作業でした。

やりたくなくて、ずっと目を背けてきたけど、避けては通れない。グチャグチャしたコードをしぶしぶ引っこ抜いて、撤去して綿ぼこりを掃除機で吸って、ぐるぐる巻きのコードの下を雑巾で拭いていたら、忘れていた自分の心が落っこちていました。

久しぶりに見た自分の心は、美しい!なんて感動ものではありませんでした。何年も前に転がったミカンが、冷蔵庫の裏から出てきたような感じ。やっと見つけた自分の心は、押しつぶされてブヨブヨして、危険な香りを漂わせていたのです。うわ~見たくなかった。でも、見てしまった!

私は心を大切に拾い上げて、人工呼吸しました。でも、あまりにも弱っていて、このままだとちょっとの力で押しつぶされて、死んでしまう……。

もう集中治療室に運ぶしかない。

心を立て直すには何が必要か、私には分かっていました。本当に自分が大好きなこと、心地いいものを心に与えること。これまで自分が禁じてきたことを、自分に許可して与えてあげること。

それは、本、ドラマ、マンガ、映画、演劇、脂っこくない健康な食事、運動、お風呂、自分を女性として大切に扱うこと、ホットミルク、人肌、ぬくもり……。

心に好きなことだけを与えて、日がな一日、空想に浸って、貯金が尽きるまで引きこもろうって思いました。

何なら、家賃代が安い田舎に引っ越してもいい。

その結果、貯金が尽きて、力尽きて死んでも、後悔しない。

だって、本当にやりたかったことなのだもの。

死んで本望。そう思っていました。

そうは言っても、いまの日本なら飢え死にはしない。いざとなったら、仏教が好きだから、尼寺に入って、出家でもするかって。(で、瀬戸内寂聴さんを目指してみるのもいいかなって。)

当時、コーチングをしてもらっていた人にも背中を押してもらいました。

「自分のために生きてみよう」。

私、生まれて初めて決意したんです。

わがままなのは百も承知。
人様に迷惑をかけるのは百も承知。
世間体が悪いのは百も承知。
人のことを考えない自分が冷たいと思われるのも百も承知。

人生80年(これからは100年!?)生き延びる方法は、ひたすらわがままに生きること。これしかなかったのです。

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そうして、「自分のために生きる」って決めて、仕事も婚活もやめたら、次々とチャンスが降ってきたのです。

尊敬する人との仕事、海外就職、恋愛、結婚、心理学の講座スタート……。自分がやりたくてワクワクすることばかり。

引きこもるはずが、人づてにライターの仕事も勝手に舞い込んでくるようになりました。しかも、どんどんいい条件の仕事が舞い込んできます。

これが手放しの効果!?

根本先生のブログでたまに出てくる、人生大フィーバー!?

自分なかなかいい感じじゃん。じゃあ、もっといい仕事をしようと、もっと頑張ろう!調子に乗ると、どんどん欲が出てきてしまいました。

ところが、心はまだブヨブヨ、シワシワな状態。チャンスがどんどん降ってくるのに、メンタルが追い付かない。それどころか、「もうやめよう。疲れた。休みたい」って言ってくる。

一体、どうすれば、いいのだろう? 同じグループのYちゃんに、この悩みをセッションしてもらいました。

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Yちゃんは「疲れているってことは、『疲れていたい』ってことなんだよ」と教えてくれました。

「自分が本当に求めていることならば、今やらなくても、チャンスはいずれやってくる。焦る必要はない」

Yちゃん、若いのに達観している。どこか遠い国の遊牧民族の老賢者と話しているような、ゆったりした感覚になりました。

もう疲れている自分を丸ごと認めてしまおう。Yちゃんとのセッションで、私はそう思えるようになりました。

思い返すと、私は疲れている自分が昔から大っ嫌いでした。

人生は短いから、時間を無駄にせず、精いっぱい生きるのが私のモットー。だから、疲れている時間は「生産性のない無駄な時間」だったのです。

そのくせ、口癖が「疲れたー」だったので、すっごくメンドウな人間。笑。

自分が疲れていると認められないから、他人に「お疲れ様」「頑張っているね」って、いつも労いの言葉を求めていました。

でも、いまは心が「疲れたい」と言っている。自分が心から望んでいるのは、「疲れている」こと。

だから、今は疲れていよう。もう、元気なふりなんか、やめてしまおう。不機嫌だって、やる気が起きなくなって、いいじゃない。

もう、頑張らなくて、いいやー。

「自分の心、お疲れさん。ちょっと休んでいなさいな」

自分で自分に言えるようになって、ずいぶん楽になりました。

うん、ますますプータロー。

でも、いいじゃない。これが一番やりたかったことなんだから。

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テツコハナヤマ
毒親育ちが、ロックマンしか愛せず音信不通に苦しむ日々を卒業し、誠実な癒し系の旦那様と結婚。コロナ禍で出産し、産後クライシスに荒ぶりながらも「毒親育ちが居場所を見つけて、ライフワークと家族と生きる」日々を発信中。根本裕幸氏のお弟子さん1期。 詳しいプロフィールはこちら。