この4年間①結婚をあきらめる→なぜか結婚→島に移住→結婚式→妊娠→目に異常→コロナ禍で里帰り出産

こんにちは。テツコハナヤマです。

久ぶりすぎて、ブログをどう書けばいいのか、とんと忘れてしまいました。

この4年間の流れがとにかくあわただしすぎて、10年くらいたってる??という心境でございます。

根本裕幸さんのお弟子になった2019年1月、仕事をやめて引きこもり生活でした。

もう婚活もあきらめて、一人で海外で生きていこうかと考えていました。

実家の家族とも縁を切って生きてこうと思っていました。

疲れているけど、やけっぱち。

仕事もお金もパートナーも精神的な安定も何もない。

何もかも上手くいっていないけど、何でもできそう。

”無敵の人”のような感じだったかもしれません。

男性に媚びを売ったり、自分を卑下したりすることもやめました。

(そうしたら、なんだかモテはじめたので、人生とは面白いもんですな……)

そんな中、3月にいまの旦那さんと、島の転勤についていく形で結婚。

11月には日光で挙式、披露宴を開き、12月には東京でパーティーをし、沢山のお弟子仲間、根本さんにも祝福していただきました。

ご祝儀カウンセリングというのもやらせてもらい、ドレスのレンタル費用に充てさせてもらいました。

それから、島で幸せに旦那様とのんびり暮らしましたとさ……。

とはいかず、すぐに妊娠が発覚。

つわりなのかホルモンバランスの関係なのか、妊娠2カ月ぐらいで、パソコンやスマホなどの光る画面が一切見られなくなってしましました。

それ以外でも、光、音、触覚など五感がむちゃくちゃ敏感になって、日常生活に支障が出ました。

いま思うと、まだ自覚がなかったHSPの特性が、妊娠を機に一気に出たのかもしれません。

その頃はカウンセラーとしてガツガツやっていて、連続セッションを結構やっていたのですが、実質的に廃業状態。

メールを返すこともできず、お弟子仲間にキャンセルのメールを代わりに送ってもらうこともありました。

当時、コロナはまだ正体がよく分かっておらず、極力、人に会わないで生活していました。

島の医療体制に心配があったので、迷った末に東京の実家で里帰り出産。

島を出て、旦那さんと離れる時には、本当に辛かったなあ……

実家で過ごすことはとても辛く、大きな衝立を買って、実家の両親から自分を囲って過ごしていました。

途中で実家の空気に耐え切れずに、ホテルにも1週間逃げました。

(コロナで東京五輪は中止になり、ホテルはがら空き。都心のホテルに5000円くらいで泊まれました。)

当時はどんなに実家が苦手でも、子どもを無事産むことを第一にしていました。

出産直前に、分娩予定の病院でコロナが出てしまい、実家の母がパニくったり(私がパニクりたいわ!)

コロナ厳戒態勢での出産となりました。

(続く)

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テツコハナヤマ
毒親育ちが、ロックマンしか愛せず音信不通に苦しむ日々を卒業し、誠実な癒し系の旦那様と結婚。コロナ禍で出産し、産後クライシスに荒ぶりながらも「毒親育ちが居場所を見つけて、ライフワークと家族と生きる」日々を発信中。根本裕幸氏のお弟子さん1期。 詳しいプロフィールはこちら。