「私は自由」。
そう口に出してから、だいぶ気分が変わった。
忙しい状況は変わっていないのに、不思議だ。
ふと手を止めて姫の顔をじっと見ながら、「あら、かわいい♡」と思う瞬間が確実に増えた。
育児の合間に無理に色々とやろうとしないで、ゴロンと横になれるようにもなった。
家事や雑務が進まなくても、「まあ、姫が1日無事に生き抜いてくれればオッケー」と思えるようになってきた。
★
この心の余裕は、どこから来ているのだろう。
自由になるのも、ならないのも、自分次第。選択権は自分が握っている、と思えたからだろうか。
いつもの執着と手放しの原理だ。
からくりはたぶん、こうだ。
今までは、「自由でありたい」「自分の時間が欲しい」と必死に自由に執着していた。
執着は選択肢がない状態、おそれの気持ちから生じる。
私の場合は「自分の時間が奪われる」というおそれの気持ちだった。
でも、執着を、前向きなこだわりに変えてみる。
「育児をしながら、自分らしい時間を持つ」という前向きなこだわりへ。
すると、
「今の不自由という状況は自分で選んでいる。
もっとも赤ん坊を育てているんだから、しゃーない面もある。
ただ、いざとなったら知恵と工夫次第で、いつでも私は自由になれる。
選択権は自分にある」
と思うようになる。
前向きなこだわりは、ワクワクするエネルギーを作る。
そうすると、自分が余裕を持つことに対して、色々な手を思いつくようになる。
★
家事は外注したっていい。料理は手を抜いたっていい。
食費気にせず、お惣菜に頼ってもいい。(島のお惣菜は本土の2倍する)
ブログや日記は全然書けなくてもいい。
おふろに入れなくてもいい。(そりゃ、入りたいけど)
きつかったら、遠方の実家に戻ればいい。(親との仲はおいといて、育児は頭数が多い方がいい)
とにかく誰かに頼ればいい。産後ドゥーラとかベビーシッター。
旦那さんを育成する、とか。
コーヒーもガバガバ飲まなきゃ大丈夫。飲んじゃえ、飲んじゃえ。
★
さらに、罪悪感やもろもろの思いに縛られていたのだとも気づいた。
子供をかわいいと、いつも思っていない自分にイライラする。
母親なのに、のんびりしていたら、忙しい人たちに申し訳ない。
元祖ワンオペの母親と同じ気持ちを味わいたい。
世の中には、不妊治療に励んでいる人たちもいる。私はスムーズに授かったんだから、たかが育児で文句を言うべきではない。
産む病院でコロナ患者が出たと知ってストレスマックスだった時、「この子だけは無事に産みたい。後の願いはどうなっても構わない」と思ったくせに、不自由なことに対して愚痴をいうべきではない。
(ただ、こう思ったことは、一生心に刻んでおきたい)
などなど……
★
ブログを読んだ人から、「自分なりの新しいお母さん像を作っている」とのメッセージもいただいた。
私は心に余裕を持って、子供と接したい。
ワンオペ・ヒステリー母を反面教師に、どうしたら自分らしく余裕を持てるか、これからも思考錯誤していく。
不自由を楽しみながら、自分の時間を作りつつ、育児をしたい。
それが私の願いだ。