お盆のこの時期、ブログ界ではオカン面倒くさい問題に苦しむ同志たちの阿鼻叫喚の声が聞こえてきます。
実家帰りたくねー。
面倒くせー。
頑張って帰ったけど、毒母はやっぱり重い。
つーか、帰るんじゃなかった。
涙なくして読めない。語れない。みんな、お願いだから、無事生還してくれ( ;∀;)
そうして、反乱の狼煙をあげた勇者の声も聞こえてきます。ブログ仲間さんはこんな投稿を。
一家の長女あるいは長女気質の方は機能不全家族、毒親のいる家庭で、重責を負わされていることが多く、それは大人になってからも、自分の家庭を持ってからも、続くことがあります。
その負担の重さ、行動と言葉で示さなければ、誰も気づいてくれません。もしくは当たり前だと思われています。これでは、自分を守ることも大事にすることもできません。
ハナヤマは“長女の乱”の覚悟と決意に、心からエールを送ります。
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何を隠そう、ハナヤマも今年の正月、“長女の乱”を起こしたのです。
実家の玄関の前まで行ってドアノブに手をかけたけれど、「これじゃいつもと変わらないよ。このままでいいの?また嫌な思いをしに来たの?」と心の声が聞こえたんですな。
両親に申し訳ないと思いながらも、ここで変わらなきゃ、何にも変わらないって思いました。私の怒りと悲しみに気づかない家族にも腹が立った。すごい勢いで正月飾りを引きちぎって(良い子は真似しないでね♪)、そのまま寄らずに帰りました。
それから「お前の娘は死んだも同然だ。その証拠に喪中の張り紙をつけてやる!」とかキレて実家に脅迫電話したんですな。自分でもマジで訳分からん。
もう身体が拒否反応を起こしていた。身体が実家に行くのはもう嫌だ、本当にもう気遣いはごめんだと訴えていた。当時私の生き方をめぐって、両親から「お前はかわいそう」と言われていたので、それがもう耐えられなかったのです。だって、私かわいそうでも、何でもないもん。
以前から「絶縁したい」と話していて、そのケジメのつもりでした。これで私の母は、本気で絶縁を考えていると分かったようです。アスペってるモラハラ父は、これでも「来ないなら、それでいいんじゃん」程度でしたけど(笑)
威勢よく部屋に戻ったけれど、一人で正月を過ごすのは、こわかった。さみしかった。世界が終わるような、究極の孤独をかみしめました。
年末で定職を辞めたばかり。独身、職なし、金なし、家族なし。この先、家賃を払える保証もない。
みじめだなと思った。生きてる価値あるのかなと思った。こんな思い二度としたくないとも思った。かわいそうな自分に酔おうとした。
ところが、世間は想像以上にやさしく、あたたかったのです。
「正月帰る場所がない」。勇気を出して、メールやラインで思い切って打ち明けたところ、何人かの方々から優しい言葉をかけてもらいました。ブログ仲間がお節料理を食べさせてくれて、励ましてくれたのは、本当にありがたかった。
そうして部屋でゆっくり一人で過ごし、時代劇を見ながら飲む、コンビニのスパークリングの美味しかったこと!
色々な感情をかみしめながらも、充実したお正月を過ごしました。
意外と正月に実家に帰っていない人が多いとも知りました。「盆、正月に親孝行すべき」は私が捕らわれていた観念でした。嫌だったら、帰らなければいい。ただそれだけ。
婚活をやめた直後だったけど、ああ、私、この先、実家の家族と切れても、もしずっと家族がいなくても、一人でも生きていける、大丈夫とも思えました。
家族なんかいなくても、自分が愛する人々と尊敬尊重し合ってつながって行けば、この先もずっと生きていける。一人もいいけれど、出来ることなら、自分の価値をちゃんと認めてくれる人、自分を大事にしてくれる人、そして自分が本当に大事にしたいと思える人に囲まれて、これからの人生を過ごそう。そう決心しました。
それまでも何度かそんな思いをしましたが、ここまで腹の底からグワッと来る深く熱い思いは、初めてでした。
節目の時に実家に帰らない、家族に会わない。辛くてさみしてく切ないけれど、そのパワーは人生を動かします。
お盆に帰らなかった皆さん、私は今こそ、その勇気をたたえ、エールを送ります。
あなたは一人じゃないよ。大丈夫。この貴重な経験が、後につながるから。さみしさと孤独に打ちひしがれた先に、楽しさと心の平安を見出して。
大丈夫、親不孝だと思わないで。あなたは冷たくないよ。わがままでもないよ。もう十分頑張って、家族に貢献したよ。
自分で自分を大切にすることから、世界は変わるんだから。
人生で最高の夏休みとなりますように!