母になっても「私は自由」。久しぶりの海辺で瞑想から得た言葉。

里帰り先から帰って、旦那さんと二人だけの育児が始まった。

旦那さんは子供の扱いがまだよく分かっておらず、実質ワンオペ状態。

3カ月留守にした家の中はちっとも片付いておらず、ゼロからというよりも、マイナスからのスタート。

やる事が山積みで、育児の合間にひたすらタスクをこなす仕事モード。

ああ、やらなきゃ、やらなきゃ、やらなきゃ……やることが、たくさん!

いつまでたっても終わらない。

子供との時間を楽しむ余裕は正直ない。睡眠不足で常にけだるい。

赤ちゃんが泣いたりぐずったりすると、イライラしてしまう。

そして旦那さんにもあたってしまう。

そんな自分まで嫌になってしまう。

最初の1週間で、家族水入らずの生活は行き詰ってしまった。

旦那さんに子供を見てもらっている最中、衝動的に海辺へと車を走らせた。

妊娠中にはよく散歩、瞑想をして、たくさんのインスピレーションを得た場所。

夕闇は海と空の狭間に美しいグラデーションを作り、漁火がチラチラと輝いていた。

こんなに大自然に身を浸すのは、何カ月ぶりだろう!

久しぶりにほんの数分、自然に身を委ねて、呼吸してみた。

そうして、ふと湧いてきた言葉。

「自由」

「私は自由」

母になると、不自由になる。

夫は協力してれず、妻にばかり負担がのしかかって、イライラし続ける。

自分ばかりが我慢して、自己犠牲ばかり。

私は以前から母になることについて、そんな観念、思い込みを持っている。

私の母は元祖ワンオペ・ワーキングマザー。

いつも余裕がなくイライラしていて、ノロい私は日常的に容赦ない鉄拳、罵声をくらっていた。

こんな経験から、私は子供が欲しいと思うと同時に、子供を持つことが恐怖だった。

子供を産むまでは、この思い込みとの格闘の日々だった。

そうして、母の姿をコピーしたように、私は今、イライラして、夫にあたりまくっている。

でも、母になったら、不自由になる。

本当にそうなのだろうか。

いや、人間、どこで何をしていても、心は自由なはずなのだ。

自由でないのは、自分が自分で自由をなくしているのだ。

根本さんが常々説いているように、欲しいものは両方手に入れていい。
https://nemotohiroyuki.jp/manwoman-psychology/35601

母であることも、自由であることも。

誰にもしばられない。

「私は自由」

そうつぶやいてみたら、心がほおっと溶けるように、軽くなった。

「私は自由」

「私は自由」

母になっても、育児で大変でも、私は誰にも縛られず、自由である。

もちろん、育児は大変な仕事だ。時間もお金も心の余裕もなくなる(ように思える)。

日本のお母さんには、えげつないくらいの理想と負担と責任がのしかかる(ように思える)。

でも、「育児をしながらでも、私の心は自由」

そう感じる方法は、必ずあるはずだ。

帰り道、にゃんこがたくさん寄ってきた。

うち一匹に、我が子の面影を感じた。

さてさて、おうちに戻ろう。

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テツコハナヤマ
毒親育ちが、ロックマンしか愛せず音信不通に苦しむ日々を卒業し、誠実な癒し系の旦那様と結婚。コロナ禍で出産し、産後クライシスに荒ぶりながらも「毒親育ちが居場所を見つけて、ライフワークと家族と生きる」日々を発信中。根本裕幸氏のお弟子さん1期。 詳しいプロフィールはこちら。