明け方3時のインスピレーション。ダンサーの恍惚感。

ここ1、2カ月、明け方3時ごろに不思議な感覚に陥ることが毎日あった。

夢と現実の狭間。潜在意識と顕在意識の間。

イメージワーク中のようなふしぎな感覚だ。

夢を見ようと思えば、夢を見られるし、現実に戻ることもできる。

自由自在に自分のイメージを試すことができる。

蛇になったり、黒トカゲになったり、自分の身体であって、自分の身体でないような不思議な感覚。

同級生に「3時に起きるんだよね~」と話したら、「老化で寝られなくなっているんじゃない?」と言われて、笑ってしまったけれど。

その時に、夢中で何かを踊るという体験をした。奉納舞のような、ストリートダンスが混ざっているような、神様に捧げる、観客も見ている、しなやかな舞。

その時の私は解放感に満ち溢れていた。天上の何かとつながって、インスピレーションがあふれるほどに降りてくる状態。

ああ、これが私なのだ。

と感じた。

見られたいという承認欲求ではなかった。表現欲でもない。ダンスという形で神様や天上とつながって、人々とつなげてあげるような感覚。なんとも言えない恍惚感があった。

最近、幼い頃に習っていたダンスを再び始めた。ほとんど直感的に決めた。身体は全然動かない。

それから私は自分の身体感覚を取り戻した。そして、いろいろなことが動き出したような気がする。

私の本質は踊り子、ダンサーなのだろうか?

そういえばカウンセラーの同期・竹内えつ子の前世セッションを3年前に受けたことがある。

私は前世とか過去世とかはあまり信じていない人だ。ただ、見えたストーリーには、その人の深い心の中から出てきたもので、何か意味があると感じている。

その時に出てきたひとつの前世のストーリーは、東南アジアあたりの踊り子。ダンサーだった。神に捧げるダンスを、王宮や儀式の場で踊る人。

3年前に受けた時には、あまりに意外なストーリーに「???」となっていたが、移住した現在、いろんな意味でこのストーリーが腑に落ちつつある。

次は竹内えつ子のセッションを受けた際の前世ストーリーを書きたい。

自分に都合のよい世界へ跳ぶと、都内に戻ってもフラッシュバックしなくなった。

1カ月ぶりに実家に戻った。

都内に戻ると、私は体調が悪くなる。

頭が回らなくなって、重くなる。考えがまとまらなくなる。身体もなんだかだるい。

数年前まではこれが当たり前だと思っていた。

身体も心もうまく回らない状態で、鞭打って動く。幼い頃からそうだったから、こんなものだろうと思っていた。

だが、移住して、この感覚が変だということに初めて気づいた。

身体は温泉から上がりたてのように、ほかほかと緩んでいい。

肩の力が抜けて、やりたいことがどんどん思いつく。インスピレーションがあふれる。

朝、太陽の光とともに、スッキリと起きられる。

今日はどんな一日かなとワクワクする。

こんな感覚を持っていたのは、10歳ぐらいまでだったろうか。

それ以降は朝起きるのも、動くのもどんどん身体が重くなっていった。

片付けられない。朝の支度ができない。顔も歯も磨く気力がない。

同級生がめいっぱいオシャレしていた高校生の頃、私は朝起きて機械的に学校に行くだけで目いっぱいだった。

20歳くらいの頃、朝起きて、腰が痛くてだるい日々が続いたことがあった。

人生80年というが、皆、いったいどうやって80歳まで生きているのだろうか。私は20歳でもこんなに身体が辛いのに。

どうして私だけ世間の基準からこんなに外れているのだろう。と思ったことがある。

いま振り返ると、自己愛の強い母の支配に絡めとられていったからだ。

都内に入ると、その感覚が戻ってきてしまう。だから用事がある時以外には、できるだけ都内に戻りたくなかった。

夫に会うため、病の父に会うため、地元のまだ切れない仲間たちに会うために、私は頑張って戻っていた。

しかし、今回の上京から身体感覚が一変した。大丈夫なのだ。

私はもうこの街がこわくない。実家もこわくない。落ち込んだり、パニックになったりすることがほとんどなくなった。

そして同時に、この街が過去のものになったことも感じた。

現在とは地続きではない。終わった話なのだ。そして実家も、もう住むことはない、過去の家なのだ。

私はもう母にいじめられることもない。いじめさせない。私が私を守るから。私の家族を守るから。近づかないし、母がどんなに弱っても、絡め取られない。人生の主導権を渡さない自信がある。

私は、両親のこと、数年前に自己愛の母によって家族とコミュニティをボロボロにされたことが、過去になっていることに気づいた。

この変化はいったい何だろう? これまであらゆる心理的なワークなどにトライしたが、なかなか過去のものにはならなかった。

これまでとは違ったのは「違う世界線に跳ぶ」ことを意識したことである。

いままでは過去—現在ー未来は私にとって、一直線であった。

苦労の乗り越え、それを活かしてこその現在であり、未来へとつながっていくと思っていた。

ただ、いまの私にとって、過去は別の世界である。もちろん私ではある。ただ、いまの私はその延長線にはいない。

過去は自己愛が強い母にとって都合のよい世界であり、私にとっては不都合な世界であった。

いまの私は、私にとって都合のよい、心地よい世界に生きている。新しい世界へと文字通り「跳んだ」のだ。

そして過去には戻らない。母にとって都合のよい世界には、もう二度と戻らない。なぜなら私のいま生きているラインと過去のラインは交わらないからだ。

ことばで説明するのは難しい。感覚的に腑に落ちたというべきか。

パラレルワールドということばがある。私は都合の悪い世界から、都合のよい世界へのスライドしたという感覚だ。

予祝を自分なりに調べてみて、自分に都合のよい世界線に跳んでしまうのが、一番いいと気づいたからだ。

数年前に根本さんから頂いた言葉もヒントになっている。

お弟子向けのグルコンで「将来は移住したい。その方がやりたいことも叶うし、パフォーマンスを発揮できる」と言った私に、根本さんは「いまこの瞬間に、最高の状態になることはできる」と。

その言葉がずっと引っかかっていた。

自分に都合のよい世界線に跳んでしまう。そうなってしまう。それが一番いいのではないかと。私は仮定した。それを実践してみた。

このやり方がカウンセリング的に合っているのか分からない。逃避や妄想なのか?とも一瞬疑った。

ただ、このアプローチだと、毒親の近くに行っても平気だし、街のフラッシュバックも起こらないのだ。日常でも穏やかに過ごす時間が増えている。

 

 

 

母と対等な関係を築きたかった。

母と対等な関係を築きたかった。

母と私は、上か下かの関係しかなかった。

母が私を見る目はこんな感じだ。

かわいそうで何もできない娘。こんなあなたが可愛そうだから、助けてあげる。その代わり、ずっと私のそばにいるのよ。

もしくは、何でもできるすごい子。スーパーマン。母を助けてくれる自慢の娘。学歴や賞を自慢できる子。その子を育てた創造主たる母の私は、もっと素晴らしい。(結局、私を下げているだけか……)

母が私を見る目は、この二つしかなかった。二つを常に行き来してきた。

私は、こんな関係をやめて、母と対等な関係を築きたかった。

それには、私が母を見上げるのを、やめなければいけなかった。

見上げるのをやめた。あなたと私は対等。ともに子を持つ母親で、仕事を持つ、一人の人間。

母にとって、対等な関係というのは、どこにも存在しないらしい。

ここ数年、実家の近くに暮らして気づいた。彼女の中には、人間の序列しかない。

私をいじめ抜いた、自己愛の強い母を、私は軽蔑している。

しかし、それは本当の対等性ではないのかもしれない。

私は、まずは自分を尊重し、母と距離を置く。

自分を尊重すると、他者も尊重できる。彼女の力を信じて距離を置く。

そう、見下げていたのは、私のほうかもしれないのだ。

距離を置くこと、連絡しないことで、私は母との対等な関係を掴みつつある。

心理学や分析に捕らわれてたまるかバカヤロー。私は私なのだという怒りと喜びと。

毒親育ちの私がお世話になった心理学、特に根本裕幸さんの下で学んだビジョン心理学から卒業の時が来ているのかもしれない。

私を救ってくれた心理学。ビジョン心理学以外にもさまざまな書籍を読んだ。学術的なものからスピリチャルまで、心理学と名の付くものは乱読した。数えてはいないが、100冊は軽く超えるのではないか。

大学院に進んでみるのもいいのかもしれない。そう思ったこともある。

必要に迫られたとも言える。私が私を生きやすくするために。自分を解放するために。自分を取り戻すために。焦燥感にとらわれながら、藁をもつかむ気持ちで、ひたすら学んだ。

ただ、そうやって飛び込んでみると、楽しかったのだ。人の心とはいったい何なのか? どうすれば生きやすくなるのか。人と気軽に付き合い、話せるようになるのか。本音とはいったい何なのか?

私は純粋に人の心理というものを、むさぼるように勉強してみたかった。この10年で、それが叶った。

いろいろなセミナーに顔を出した。新しい知識、カウンセリングのやり方を見つけると、すぐに飛び込み、実践した。動画も沢山見た。ここ1年はオープンダイアローグを学んでいる。

アダルトチルドレンの克服、毒親との対決からの解放、婚活、パートナーシップ、子育て。さまざまな場面で役に立った。

私は分析が得意だし、自分でも大好きだ。分析癖を自分でも愛している。分析はほとんど無意識に行っているし、自分で苦にはならない。それほど自分に沁みついた習慣だ。

ただ、ここ半年くらいで、自分の分析癖について、疑問を持つようになった。

分析というフィルターを通すことで、何か大事なものを取り逃していないだろうか。分析という私の眼鏡で、何かが見えづらくなっていないだろうか。

もしかして、分析なんてしなくても、ただその人とまるごと対峙すれば、いいのではないか。

ここ半年くらい、ふとそう考えることが増えてきた。

そもそも分析をするとジャッジが入る。私はジャッジ抜きで、その人そのものと接したい。分析というツールなしの、その人そのままの大きさや魅力とでも言えばいいのか。

スピリチャル的にはエネルギーとか魂とか、そういうものかもしれない。

もっとも例え分析を抜きにしたとしても、人は主観からは逃れられない。世界を見る時には、自分自身の投影が入ってしまう。

それならば、私は自分自身のエネルギーそのものに照らされた投影の世界を見てみたい。ガチンコな自分自身の、純度の高い、投影の世界を。

私は分析に救われてきたし、これからも分析は自分も他人も救うツールだと思っている。

不健全な環境で育った人たち、生きづらさを抱える人たちには、自分自身のフィルター以外の客観的な分析が必要な時期があるのだと思う。

私は心理学的な分析に救われてきた人間だ。

ただ分析は、もう十分に私を救ってくれた。

これからは分析を手放して、私の感性をまるごと味わいながら、生きていきたい。

心理学的な分析やジャッジに捕らわれてたまるか、という怒り。

ビートたけし的に「バカヤロー! そんな高尚な学問、オイラは知らねえよ」という感覚。

私は私なんだから、分析なんて必要ないし、もうそのまんま、自由に感じたままに生きていけばいいじゃんという、ある意味の無鉄砲さ。

糸の切れた凧になってしまう?

いや、そんなことはない。私は私とつながっているから、大丈夫。

人から見たら、糸の切れた凧に見えるかもしれないけれど、自分の中では全部つながっているし、辻褄が合っている。

スティーブ・ジョブズの言う”Connecting the dots”がいま本当に腑に落ちている。

大丈夫、私は私のまんまで、好きを炸裂させて、生きていけば大丈夫。

もう何者にも捕らわれてたまるかという怒りと、分析から解放された喜びと。

ふつふつと沸く二つの思い。このたぎる感情こそが、まさに自分自身なんだなあと。

二つの間を振り子のようにブンブン動くことで、私は私自身を取り戻し、私そのものの在り方に還ろうとしているようだ。

 

書き終えたら、「これでいいのだ~これでいいのだ~♪」と天才バカボンの曲が空耳のように聞こえてきた……笑。

 

もちろんこれからも、定規やメーターを引き出しからスチャッと出して、振り返って分析することはあると思う。たまにだけどね。

この5年間でキャリアのリセットボタンを3回押した。

朝、ランニングをしていて、ふっと気づいた。

私はこの5年間でキャリアのリセットボタンを3回押した。

そりゃ生きづらくなるはずだ。

一度目は妊娠中。妊娠3カ月のころ、目に異変が生じた。ブルーライトを使った画面をまったく見られなくなった。

パソコンもスマホもテレビも見られない。しかも新型コロナウイルスが流行り始めた矢先。私は起業を断念せざるをえなかった。

眼科に行ったが原因は不明だった。産婦人科の医師から「妊娠中はこれまで弱っていた部分が明るみになる。これまで目を使いすぎたのではないか」と言われた。もともとHSPであったが、妊娠、ストレス、ホルモンバランスなど何らかの影響で超感覚過敏になったのではないか?と考えている。

二度目は島で子育てを断念した時。娘の平熱が高くて37.5度を毎日超えてしまうため、島の保育園では受け入れられないということだった。自分ではファミサポを探したり、役場と交渉するなどできる限りのことをやった。

ただ、夫が育休を取ってくれたら、島を離れずに済んだはずなのだ。5年前は育休を取る男性がほとんどおらず、私は夫に訴えることができなかった。喉骨にひっかかった魚の骨のように、いまだに響いている。

当時は学校の支援員をやって、ここで生きるんだという希望にあふれていた。家を行き来できるママ友、友人もおり、起業をサポートしてくれる地元の方ともつながれた。その矢先に離れざるをえなかったのは、断腸の思いであった。

三度目は母との不仲。詳細はまた別の機会に書こうと思う。島から離れて、コロナ禍で育児をサポートしてもらうために実家近くに住んだ。実家近くでスペースを運営をするために起業した。しかし一緒に起業した母から妨害され、私自身が崩壊してしまった。

母はおそらく自己愛の強い人で、私を下に置かないと気が済まない人だった。自分より幸せな娘を許せない人だった。実家近くに住むこと自体がそもそも”無理ゲー”だったのだ。

一度目の妊娠は仕方ないとしても、3回ともに自分で納得いかないところで、私はキャリアのリセットボタンを押すことになった。

走りながら、これらの経験がふっと蘇ってきた。なぜ私はこんなに他人軸で、キャリアを他人の手に委ねているのだろうか。

そもそもキャリア形成においては、自分が我慢をして、家族に合わせることだと勘違いしていたのだ。幼少期からそういうキャリア形成を押し付けられてきた。

それに気づけば、半分以上は手放せている。私はもう二度と不本意な形で、キャリアのリセットボタンを押さない。他人の失敗のツケを負わない。

私のキャリアは私だけのものだ。私がやりたいことを貫いていく。

これからはテツコハナヤマとしてやりたいことを、あきらめることなく、地道に積み上げていこうと思う。

 

両親が果たせなかった”お金軸”脱却が、最大の親孝行!?その先のビジョンは……?

“お金軸”を脱却せねばならない。

そんな危機感を抱いています。

娘に口癖のように「お金がないから無理」と言っている自分に気づいたからです。

“お金軸”とは他人軸のように、何でもお金を基準に決めることです。

私はそういう生き方はしないと思っていました。

しかし、口をついて出てしまう。子供を揺さぶってしまう。これには驚いています。

思えば、私の両親は、子供に対してお金で制裁を加えていました。

言うことを聞けば欲しいものを買ってくれるけれど、聞かなければ欲しいものは買わない。

テストでよい点を取ればお小遣いをあげるけれど、悪い点を取ったらあげない。

自分が嫌いなスポーツや習い事には、お金を払わない。

文系の大学に行ったら、学費を払わない。

孫が生まれた兄弟にはたっぷり援助するけれど、未婚の女性は援助しない。

何をするにせよ、”お金を支払うかどうか”が絡んだ、条件付きの愛情でした。

私の弟は、両親の希望通りの進路を進んだので、大学に入ると、新車を買ってもらい、海外旅行や留学の費用を払ってもらっていました。学生時代からスタバで大きなサイズの飲み物を頼んでいましたっけ。

かたや、私は大学の学費を出すのも渋られて、日々金欠で、昼食を抜いたり、氷を食べたり、工場で部品組み立てのアルバイトをする日々。

二人とも同じぐらいの学力だったので、この仕打ちはとても悲しいものでした。

悲しかったなあ……。悔しかったなあ……。やりたいことが沢山あったけれど、我慢したよね。

悲しい気持ち、悔しい気持ちをいっぱい味わおう。

そして、娘にはこんな思いをさせたくない。

無意識に値札や値段で判断する癖をやめたい。

私はお金軸からの卒業を宣言します。

そこから卒業することが、両親への最大への親孝行ではないか。

思えば、父も母も、お金の制裁というものに、ずっと縛られていました。自分たちがそういう仕打ちをされたからだと思うのです。その呪縛から逃れられなかった。

父は病ですが、最後の最後まで兄弟を競わせて、お金や土地の譲り先を考えているようです。移住した私に「東京に住まないと、何も渡さない」と揺さぶりをかけてきます。父自身がいま必死で”お金軸”から抜けようと、あがいているのも分かるんですが。

気を取られないようにしようと思う反面、「またお金で揺さぶってくるの?人生の最後までそれをやるか?」と怒りが出てきてしまう。何だかなあ。

こんなふうに、いつまでもお金軸にとらわれて、お金がああだこうだと言うのではなく、軽やかに自分のエネルギーが回ることをして生きていきたい。

次の軸は、おそらく、本音で生きて私のエネルギーが循環する世界。

自分を喜ばせるエネルギーで、軽やかに回る世界。

おそらく”本音軸”と”エネルギー軸”というものになるんじゃないかと思います。

それが結果として、最大の親孝行になるのではないかという気もします。彼らが捕らわれ、抜けられなかった呪縛から抜け出すこと。

まあ、抜けられるからこそ、この呪縛に気づいたとも思うんです。これまでの人生は”お金軸”が当たり前すぎて、疑問すら持たなかったので。

大丈夫。ぼんやりとですが、それが叶う世界も見えています。

私はそちらに行けると思う。というか、行く覚悟ですね。向こう岸へ跳ぶ覚悟。あちら側へ渡る覚悟。

覚悟がすべてだ。

“お金軸からの脱却”をテーマに、テツコ自身への公開インタビューを近日中にお届けします。

 

 

 

 

 

予祝インタビューご感想「あんなに親のことばかり考えていた日々が終わり、自分の未来へと無理なく目を向けられるようになりました」

【予祝インタビュー~才能が花開いた未来を徹底的に取材~】のご感想をいただきました。

テツコの移住先まで来ていただき、セッションを受けてくださいました。ありがとうございました。

30代 看護師 茉里さん

——どんな悩みや期待があって、予祝インタビューに申込みましたか?

自己肯定感がついてきたり、自分軸が整った状態で自分の未来のビジョンを見てみたかった。一人でやると思考的になるので、誰かの力を借りてやってみたかった。

——セッションの感想を教えてください。

インタビューに答えているうちに思考する間もなく、直感的にするすると回答が出てくることに驚きました。自分の未来の姿にも驚きました。笑
あと個室で、二人きりでお話しできたのであの時のことを思い出すとすごく気分が良かったなぁと思います。本当に場所が良かった!
父のことで衝撃を受けていた直後ではありましたが、その辺りの話もした後にインタビューセッションを始めてくれたので、両親のワークの後で気持ちもスッキリしており話しやすかったです。なんというか癒されました。
その後に両親との和解もすることができたので、私にとっては貴重な区切りとなる1日でした。

——インタビュー前後に不安や抵抗などを感じましたか? それらはどうなりましたか?

悲しみや衝撃に引きづられて未来が見えなかったらどうしよう、とは思っていました。ZOOMでお話ししたり、これまでのメールでのやり取りもあったので、信頼してそのことについて打ち明けられて、対応いただけたので安心しました。

——インタビューを改めて記事として読んだ感想を教えてください。

面白かったです。どこかまだ人ごとで、自分じゃない人の話を聞いてるみたいでした。
自分の中に眠る原石を見たような気持ちです。

——どんな人に予祝インタビューを勧めたいですか?

思考的になりがちな人。
未来のビジョンを感じたいけど、頭で考えがちな人に勧めたいです。
自分の中に眠る自分でも気づかない希望につながるきっかけになると思いました。

——テツコの強みはズバリなんでしょう? 教えていただけると喜びます!

クライアントの思いを一緒に感じられるところです。一緒にワクワクしてくれているのが伝わってきて、私もどんどんと自分の内側のビジョンとのつながりが深まっていくような気がしました。

——予祝インタビューに付属するサービスで今後あると良いもの、利用して良かったものを、下教えてください。

①事前40分無料相談
②半年以内フォローセッション
③参加自由の定期的な壁打ち会
⑥逆にセッションのみで記事はいらないかも
⑦テツコがビジョンを見るセッション

——その他、全体的なことでもいいので、何かありましたら教えてください。

貴重な経験をありがとうございました。
あんなに親のことばかり考えていた日々が終わり、自分の未来へと無理なく目を向けられるようになりました。

6月限定企画「父に捧げる、素直な思いに触れるインタビュー・セッション(ヒーリング付)」

父の日だし、せっかくだからオトンのこと、たまには考えてみるか……。

「父に捧げる、素直な思いに触れるインタビュー・セッション(ヒーリング付)」
インタビューセッション90~120分+記事作成の方はフォローセッション60分+半年以内のアフターセッション60分

あなたのお父さんに対する思いについて、インタビュー・セッションを受けてみませんか?

いまの仲が良い方はもちろん、あまり連絡を取っていない方、絶縁中、すでに亡くされた方でも構いません。

テツコの父も病で、これが最後の父の日かもしれません。

父への思いを皆さまと共に感じつつ、前へと進んで行きたいと思い、企画しました。

私たちのルーツであるお父さん。

私のHPたどり着いた方は、複雑な思いを抱えている方が、多くいらっしゃると思います。

テツコも父との嫌な思い出は無数にあります。

無視されたり、暴言をはかれたり、学費を払ってもらえなかったり、母からのいじめに気づいてもらえなかったり……。

ここ1年で和解したとはいえ、「なんであの時に私を守ってくれなかったの!?」と闇落ちすることもたまにあります。

それでも、私たちはきっと父のような人に見守っていてもらいたい。そんな欲求が根底にあるのだと思います。

生物の本能のようなものなのでしょうか。

安全安心な環境で、いい思いも、嫌な思いも吐き出してみましょう。

そして、それを形にまとめると何よりすっきりします。

さらに、父親と健全につながれるようになると、

権威との葛藤を癒したり、ビジネスや仕事に進むエネルギーを得られたりと、心理的にはいろいろなメリットもあります。

また、パートナーに父親代わりを求めることもなくなり、対等なパートナーシップを築くことができます。

こんな方にお勧めです。

・最近、お父さんと連絡取っていないなと思う方
・父親とどのように関わっていいか分からない
・接した記憶が少ないので、父の日に複雑な思いがある
・お父さんが大好きすぎて、パートナーができない
・父親が別の兄弟を可愛がっていたので、いまも複雑な思いを抱えている
・いろいろあったが、感謝の思いを伝えてみたい
・随分前に亡くなったが、たまには父を思い出して、存在を感じてみたい
・ああ言えばよかった、こう言えばよかったという葛藤が常にある
・父親は可愛がってくれなかったが、別の人が父親代わりになってくれた。その人について語ってみたい

インタビュー中には、嫌だ、憎しみ、顔も見たくない……等の負の感情を吐露してくださって結構です。「しょうもない人だったな」「分かり合うことは難しい(白目をむいて)」そういう納得、腹落ちの仕方もあるのだと思います。(←私はこちらに該当する人間でもあります。)

マイナスの感情は抑圧せずに感じて、安全な形で出したほうがいいです。そのためにインタビューというアウトプットの形式があるのだと思います。マイナスの感情を見て見ぬふりをして、無理やり和解や感謝につなげようとすると、後々やっかいなことになると思っています。

ごちゃまぜになった複雑な思いがあるならば、複雑な思いのまま、いまの正直な気持ち、現時点の気持ちを確認していきましょう。記事としてはきれいにまとめますが、感情はきれいにまとめなくて結構です。

逆にマイナスのことを話すのに抵抗ある場合には、安全な形で「感謝のインタビュー」を作ることも可能です。関係が良好な方は、よければお父様に「感謝のミニインタビュー」をプレゼントしてみるのもいいですね!(←急に保育園のプレゼント感!)

お父さん大好きな方も、そうでない方も、表ファザコンも裏ファザコンもインタビューをきっかけに、お父さんとの関係で新たなステージに進んでみませんか。

★6/15~6/22申込みの方は価格より20%値引きキャンペーン★
【料金と時間】
時間90~120分
セッションのみ22,000円(感謝のミニインタビュー作成可能)
A4数ページの記事作成サービス付セッション33,000円(記事確認フォローアップ60分+アフターセッション60分付)
自分やテツコのHP・SNSで記事公開可能な方22,000円←匿名や個人情報をぼかすことも可
※記事の公開は匿名や個人情報をぼかした形にできます。

【日程】
6/15(日)12時、15時、17時
6/17(火)10時、12時、14時
6/18(水)10時、12時、14時
6/21(土)9時、11時
6/22(日)13時、15時、17時
6/24(火)10時、12時、14時
別の日時や18時以降対応可こともありますので、ご相談ください。

【受講方法】
ZOOMのオンラインで行います。顔出しなしも可です。パソコンが使えない方は、電話でも可能です。
対面はテツコの移住先で可能です。会場代3000円程度かかります。

【申し込みフォーム】
https://ws.formzu.net/fgen/S260123260/

【注意事項】
精神科や心療内科に通院・投薬治療をされている場合、セッションを受けることによって症状が不安定になるケースがあるため、原則として利用をご遠慮いただいております。

また、18歳未満の方は、原則として利用をご遠慮いただいております。

妊娠中の方は同意書が必要ですので、必ず申し出てください。

【支払い方法】
支払い方法は口座振り込み限定です。申し込みをした方にメールでお知らせします。

【キャンセル規定】
1週間前~3日前:50% 2日前・前日:70% 当日:100%
対面セッションの場合、キャンセルした場合には会場代を請求します。
返金の際の振込手数料はご負担ください。

違和感にありがとう。

私は直感力が鋭いほうだと思う。

何か掴みたい時、「あ、こっちの方だ」とピンとくることがある。

いい仕事が来る前触れ、そして不吉な前兆。

もっとも鋭い直感力は、誰もが持っている能力である。

現代では自分の直感よりも、社会や周りの意見が正解だとされることが多いから、

多くの人は家庭や学校、会社、人間関係の悩みなどから、その力を封印してしまう。

私は心理学を通して、直感が開放され、磨かれていく感覚があった。

ただ、私も最近まで抑圧していた直感があった。

それはマイナスの事柄に対する直感力だ。

直感力というより違和感と表現した方がいいかもしれない。

「ん?なんか変だ」「ざわざわする」「どうも頭がすっきりしない」

正確に言うと、「感じていたのに、感じないふりをしていた」という表現が正しいだろう。

なぜ違和感、マイナスの直感を封じてしまったのか。

母に対する違和感だ。母は話している内容と、行動や表情が異なることがある。

心理学的には毒親が人をコントロールするために使う「ダイブルバインド」という手法である。母は私と話す時には、このコミュニケーションを使っている。ほとんど無意識的にだろう。

私は幼い頃、母と話している時に、「気持ち悪い感覚」があった。怒られた後には、余計に「気持ち悪い」と感じていた。そりゃそうだ。母は私のことばの揚げ足を取り、もっともらしい理由をひねり出しては、私に怒りをぶつけ、手を上げていた。私は優等生なので、そんなミスやポカはしないのに。

保育園の頃まではこの「気持ち悪い」という感覚があった。だんだんなくなっていって、高校生くらいには完全に消滅してしまった。多くの子供に反抗期が起こる思春期に、私は自分の人生を完全に親に明け渡してしまったのだ。

思い当たるのは、思春期に身体の変化が起きた私を、母が執拗にからかったことだ。

生理がはじまり、胸がふくらみ、娘が女性的な身体になっていくことを、母は受け入れられなかった。

今思うと、あれは夫を取られてしまうかもしれないという嫉妬なのか、母子一体だった娘が一人の違う女性になっていくことへの戸惑いなのか。母は怒りをぶつけた。時には性的な暴言をあびせた。

母が私のことを嫌いだと思うと生きていけない。だから、私は母への違和感に蓋をすることにしたのだ。

このことを認めるのは、とても悲しかった。でも、いまの私はこの悲しみを味わうことができる。明け方、「ああ、そういうことだったのか」とコーヒーの苦みと共に思い返すことができる。胸はキュウと痛むが、以前ほどではない。

母への違和感を取り戻すと、他人への違和感も取り戻せた。私を攻撃しそうな人、嘘をついていそうな人、言動と表情が一致しない人への違和感。

見て見ぬふりをしてきた違和感。それらに「ありがとう」と言って感じるようにすると、人生を守ってくれる羅針盤となる。

そのセンサーは、カウンセリングやセッションではプラスのセンサーとして働く。長年にわたる違和感との格闘が、才能のひとつとして、私に装備されている。

違和感にありがとう。

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【予祝ビジョンインタビュー】夢を叶えた未来のあなたを徹底的に取材
【思いと人柄が伝わる自己紹介インタビュー】~どうしてその仕事をしているのか?~
【あの人と愛でつながって手放すインタビュー】 記事3回作成付

「愛されていないと思うのはエゴである」。朝の瞑想の気づき。

朝の瞑想が最近の日課となっている。

その日、ピンときた樹木や花の前に立ち、目をつぶって瞑想する。

ポーズは太極拳の立つポーズ。肩幅に足を広げて、腰を少し落として、仙骨を立てて、両手を木をつかむように広げ、リラックスするポーズ。毎日10分ほど行っている。

このところは決まった枝垂れ桜の木の下で瞑想していた。

今日は何となく、小川の方へ向かった。せせらぎの音が心地よい。

水の流れる音というのは、とらわれた感情を洗い流してくれる気がする。

昨日の朝の瞑想では、ヒーリングを受けたお弟子仲間・IZUMIさんからの気づきがあった。

今日はそこがすっきり晴れていて、新しい流れが起きそうだ。

しばし目をつぶって小川のせせらぎに耳を澄ませていた。

すると、突然気づいたことがあった。

「愛されていないと思うのは、エゴである」

このところ、夫との関係で悩んでいた。これ以上、関係を継続することができるのかどうか。いわゆる”デッドゾーン”だ。

夫から愛されていない部分ばかりが目についてイライラしていた。

家事、育児、お金、言った言わない、やり取りのすれ違い……。

細かいところばかりに目が行っていた。

だが、それは違う。見るべき次元がまったく違うということに気づいた。

私は愛されているのだ。夫から愛されているのだ。

気づいてから、私はそのまま小走りでコンビニにアイスコーヒーを買いに行って、飲みながら家へ戻った。

アイスコーヒーを飲みながら大股で歩くうちに、これは夫に限ったことではないなと思った。両親、周りの人すべてに当てはまるものではないか。歩きながら、この感覚がさらに腑に落ちて、身体になじんでいった。

すべては「愛されている」という前提で世界を捉えていく必要がある。

それが、すとんと腑に落ちた。さまざまな人からこの話を聞いたことがあったが、毒親育ちの私にとっては現実的ではない世界、おとぎ話の遠い世界であった。

そりゃそういう前提で考えれば人生はうまく行くだろうよ。でも、そんなこと簡単に思えるはずないし、ハードルが高すぎるよ。親が育てる過程で、健全に愛してくれたら話は別だろうけどさ。そんな簡単にプログラミングを変えられたら、こんなに苦労はしないよ。笑

だが、今日は不思議なことに、この事実をストンと受け入れることができた。唐突に。おそらく、理屈なんてない。

すべての人は、心の底で誰かを愛しているのだ。それが表面上の行動や言葉としてのぼってくるかどうかは分からない。これが、ヒーラーズスクールで学んだことである。

それが、頭では分かるようになったし、そう感じることが増えてきてはいた。でも、そうじゃないと思うことも度々あった。「心の底では愛している」。この概念は、頭で理解するというよりも、信じる信じない、何かに身をゆだねるという感覚に近い。

ヒーラーズスクールが始まって、特にこの数カ月、心の中が絶えず葛藤していた。その葛藤がふっと消えたというべきか。葛藤を担っていた脳内の膨大なメモリが急に空いて、軽くなった感覚というべきか。

私の内側と外側が均衡になったような、不思議な鎮まり。静けさ。

ああ、これが腑に落ちたということか。小川の隣の車道を、車が音を立てて通りすぎていく。

なんということはない。いつもの朝。通行量が増えつつある朝の時間帯。ただ、何が大きく変わった。私の世界の捉え方が変わった。いや、変わったというべきかは疑問である。「私はこの感覚を知っている」と思った。

赤ちゃんの頃なのか、幼い頃なのか、胎内なのか、いつの頃なのか分からない。ただ、私は「愛されている」「世界から受け入れられている」と無条件で信じて、誰かに身をゆだねて生きたことがある。

今書いていて気づいたのだが、これは講座の最終回にジュンコさんが授けたイメージワークとつながる話だ。

ヒーラーズスクールの学び。そのグループメンバーのゆうこさん、ほのかさん、MINOさん、IZUMIさん。その他、相談に乗ってくれたお弟子さん方。これらの人々との癒し癒されの相乗効果が、ここまで私を連れてきてくれたことは間違いない。

「愛されていないと思うのは、エゴである」

私は愛されている。これを前提に二人の関係を捉え直す。愛されている前提で捉えて、初めて真の相性が分かるのだろう。お互いの成長過程や、人生のタイミング、価値観、すべてが合わさって、二人に”ご縁”があるかどうか。この感覚で捉え直した先に、関係の行き着くところがある。

「目覚めた」「これが悟りか」という感覚はない。

新しい服を着たような、さりげない感覚だ。でも、悪くない。この服、慣れないけど、着心地よい。

私は、この感覚から、世界を捉えなおしていくのだろう。